2017年7月31日月曜日

小津安二郎「秋刀魚の味」と化学調味料

今回は食べ物のお話を。

小津作品を網羅的に観たわけではありませんが、私のお気に入りは小津監督の遺作「秋刀魚の味」です。デジタルリマスター版が出て、飛躍的に画がよくなりました。

海軍から復員した元駆逐艦の艦長・平山修平(笠智衆)と、旧制中学の友人・川井修三(南伸一郎)が計画して、今はラーメン屋をやっている「ひょうたん」とあだ名される漢文の教師・佐久間清太郎(東野英次郎)を同窓会に誘います。教え子が皆大企業の管理職になっているのに気後れしたひょうたんは、卑屈な態度で杯を受け、ハモを食べます。
「この魚は何でしょうか」と尋ねるひょうたん。「ハモですよ」と教えてあげるものの「ひょうたんはハモも食ったことないらしいぜ」と陰口をたたく教え子。ハモを一心不乱に食べ尽くした後、教え子が勧める酒を遠慮もなく飲み干すひょうたん。

そしてひょうたんはべろべろに酔っ払って教え子の車に送られ、店である燕来軒に帰ってくるのですが、行き遅れたオールドミスの娘・杉浦春子にこっぴどく叱られます。

その後ひょうたんは再び教え子と飲むのですがその時に、ひょうたんが言うのです。

「わしゃ、さびしいんじゃ」

この台詞が胸を突きます。この作品の中心となる台詞でしょう。


戦前は旧制中学で生徒に威張り散らしていたひょうたんが、敗戦という価値観の転倒という流れの中で職を失い(あるいは職を辞し)、なれないラーメン屋を始めます。しかもこのラーメンは、常連の坂本(加東大介)に「ここはあんまり、美味くないんですよ」と言われます。何も言い返せず、ひょうたんはがっくりと肩を落とします。


このシーンは大変に心が痛みます。

ところで小津監督は「」が好きだったというのは有名な話ですが、調べてみたところ、この映画で「赤」が登場しないのは、ほんの3シーン程度(家族のいなくなった家の廊下のシーンなど)で、会社や団地の消火器やサッポロビールなど、どこかに必ず「」が登場します。

ひょうたんの経営する「燕来軒」のシーンにも「」が登場します。それは「味の素」の缶の色です。

中が入っているものもあれば、箸立に転用されているものもあります。とにかく「味の素」がたくさん登場するのです。空き缶が多いと言うことは、それだけ燕来軒では「味の素」を使っているということでしょう。これは何を意味しているのでしょうか。



想像できることは、「漢文の教師」という、全くつぶしのきかない、しかもエリートだったひょうたんが、何の知識もなくラーメン屋を始め、だしの取り方さえ分からなかったということです。いきおい化学調味料に頼ることになり、使いすぎて舌にまとわりつくような特有の味となって、加東大介に「まずい」と言われたのでしょう。

化学調味料と秋刀魚の「味」。今まで日本人が食べてきたものの味と、それらの味を全て束ねてひと振りにしてしまう味。そこにはある種の「断絶」が見て取れます。

ひょうたんが「便利に使っていた」がために婚期を逃させてしまった娘(杉村春子)が号泣するシーンにも胸を打たれます。もう取り返しのつかないことになってしまった人生をひしひしと身に感じていたのでしょう。しかも老いた父と二人、これからのことも重くのしかかってきています。



それにしても、東野英次郎と杉村春子の演技のうまさが光っています。私は水戸黄門の東野より、この役の方が好きです。
一方、岩下志麻の父親役の笠智衆は、台詞は棒読みだし、演技は下手だし、「違和感がある」と言っていい有様です。

ところが、娘が嫁に行き、誰もいなくなった家に酔っ払って帰ってきたとたん、急に「演技」を始めるのです。この演技が、孤独になってしまった父親の悲しみを表現していて、胸を締め付けられます。

横道にそれてしまいました。

私は映画評論家でもマニアでもないので、化学調味料の件はどなたかが指摘しているかもしれませんが、この作品のテーマは「孤独と断絶」なのではないかと思います。登場人物がみんな「孤独」なのです。戦前と戦後の断絶、同級生と笠智衆扮する父親との断絶、父と息子の断絶、父とバーのマダム(岸田今日子)との断絶、父を思う娘との「結婚」による断絶。

「これからの社会は孤独と断絶の世界になる」と予言したのは夏目漱石でしたが、「秋刀魚の味」は、その流れにあるのではないでしょうか。日々口にする秋刀魚の苦さ(昔の人ははらわたも食べていました)。その苦さ(孤独の味わい)が日常的なものになった現代を、ホームドラマの形を用いて描いているような気がします。

実際、今の社会は断絶のクラックが至る所に走っていて、私たちは孤独にさいなまれているではありませんか。



0 件のコメント:

コメントを投稿

歌詞と歌

以前、機会に恵まれて、某音楽大学の合唱に関する公開講座に参加したことがありました。 講師は、最近あるコンクールで優勝したという若いソプラノの講師の方と、その大学の教授のバリトンの先生。とても含蓄のあるすばらしいお話でした。 最後に質疑応答の時間が設けられたので、質問してみ...