以前、機会に恵まれて、某音楽大学の合唱に関する公開講座に参加したことがありました。
講師は、最近あるコンクールで優勝したという若いソプラノの講師の方と、その大学の教授のバリトンの先生。とても含蓄のあるすばらしいお話でした。
最後に質疑応答の時間が設けられたので、質問してみました。
「先生方は歌われるときに、歌詞とどのように向き合っておられますか。」
すると、ソプラノの講師の方が少し考えて、
「歌詞の意味とかは、特に考えていません。」
教授の先生は、
「まず私は、歌詞の素読みをします。イタリア語ならイタリア語で、ドイツ語ならドイツ語で何度も朗読します。そうすると、その詩が内包しているリズムや抑揚が分かってきます。その後、その詩の意味を考えます。もちろん、参考文献も読みますが、自分なりの解釈を用意します。そうして歌います。作曲家はその歌詞と正面から向き合って作曲しているはずですから、歌い手もやはりそうしなければ、その歌の本質には迫れないと思うのです。」という趣旨のご回答でした。
私は大学からの帰り、いろいろ考えました。
「うた」ってなんだろうな、と。
歌を歌っていても、そこに「うた」のない場合もあるし、器楽の演奏のようにことばのない音楽にも「うた」がある場合もある。
そう考えると、歌詞の意味なんか分からなくても、そこに美しい声と歌心があれば「うた」があると言っていいのかもしれませんね。そうでなければ、私たちは外国の歌を聴いて感動するはずがないのですから。そういう意味ではソプラノの先生の言葉には納得できます。
しかし、歌い手としてはそうではないでしょう。
表現者として自分が「歌う」という行為が、少しでも意味のある行為でありたいと願うのならば、やはり自分が歌っている詩の意味が分かっていた方がいい。作曲者がその詩に触発されたみずみずしい瞬間を再現したいと思うならば、歌詞の「意味」は重要でしょう。
私はどちらかというとバリトンの先生のご意見に賛同するのですが、この問題はおそらく声楽や合唱をしている人にとっては必ずぶつかる壁なのではないかと思います。
声楽はその声質によってコロラトゥーラとか、リリコとかドラマティコ、ヘルデン・テノールなど、さまざまな名称があります。高度な技巧を駆使する声質はどちらかというと器楽的・技術的な要素が大きく、逆にリリコとかドラマティコなど、叙情性や劇的な表現を必要とする声質は、表現内容が重視される傾向があると思います。
ソプラノの先生とバリトンの先生のご意見が正反対のようになったのは、お二人の音域や、その音域に与えられた役割に基づくものだったのではないでしょうか。
ところが市井の人々の場合は、ソプラノの先生のように「技巧的」な歌を歌う人は少なく、多くの人々は、「この歌詞の意味は何だろう」と思いながら歌っていることが多いと思います。
そのときに「まあ、いいや」と思う人と「詩の意味を知りたい」と思う人に分かれると思いますが、カラオケならともかく、お客さんに何かを伝えたいと思うなら、詩の意味が分かっていた方がいいに決まってます。
ネットで「合唱部 歌詞 解釈」と調べてみると、いろいろな学校で苦労しながら歌詞の解釈をしていることが分かります。多くは部員同士で発表し合いながら理解を深めていっているようです。しかしながら中には難しい現代詩に曲をつけたものも多く、できれば国語の先生がサポートしてほしいな、と思います。
玄林山房
文学士・玄林山房主人による節操のないブログ。 旧「給食室」
2017年8月3日木曜日
2017年7月31日月曜日
やなせたかし「さびしいかしの木」解釈
大学での専門が詩(英詩)だったせいで、ある高校の合唱部で「さびしいかしの木」(やなせたかし作詞・木下牧子作曲)の歌詞の解釈をする機会がありました。また使えるかもしれないので、備忘録代わりに書き付けておきます。
「さびしいかしの木」 やなせたかし
山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木が
とおくの国へいきたいと
空ゆく雲にたのんだが
雲は流れて
きえてしまった
山の上のいっぽんの
さびしいさびしいカシの木が
私といっしょにくらしてと
やさしい風にたのんだが
風はどこかへ
きえてしまった
山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木は
今ではとても年をとり
ほほえみながら立っている
さびしいことに
なれてしまった
高校生にこの詩を読んだ感想を聞いたところ「ひとりぼっちのかしの木が、友達を得ようと何度も挫折をして、最後にはあきらめる悲しい歌」という感想が多く出ました。
「じゃあ、そんな悲しい詩なら、何で最後にかしの木はほほえんでいるのかな?」
と聞くと、みんな考え込んで、
「あきらめの苦笑?」
とか
「さびしすぎて頭がおかしくなった」
などと、訳が分からない様子でした。
こういうときはこの詩の収録されている詩集の原典に当たって前後の詩との関係などを調べるといいのですが、この詩が収録されている『愛する歌』は絶版で、それでも第1集と第2集、第4集をネットの古本屋で手に入れたのですが、残念ながらこの詩は収録されていませんでした。
そこで、やなせたかしが「さびしい(さみしい)」という語をどのような意味で用いているのかを調べてみることにしました。
すると、「第2集」の冒頭に、イラスト入りでこんな詩が掲げられていました。
巻頭詩には、この詩集の大きな方向性を示す詩や、この詩集の中で詩人が最も気に入った詩を掲げるものですが、いずれにしてもこの詩がこの詩集で最も重要なものであることに間違いありません。
これは「人間なんてさみしいね」という詩の一節で、この詩は全部で四連からなる詩です。下にそのうちの第四連を引用します。(現在では不適当な表現も含まれますが、作者の意図を尊重し、そのまま掲載します)
どうせこの世はまともじゃない
オレもオマエもみなさんも
ほんとはキチガイかもしれない
信ずるものはあるもんか
大群衆のまっただなか
石やきいもをかじりつつ
孤独のおもい胸せまる
たったひとりで生まれてきて
たったひとりで死んでゆく
人間なんてさみしいね
人間なんておかしいね
キチガイだったらよかったね
「キチガイだったらよかったね」とはショッキングな結びです。
人間はその存在自体が孤独でさみしいもので、そんな人間のあり方に滑稽ささえ感じられる、と詩人は歌っています。もしも「キチガイ」だったなら、この底なしの孤独にさいなまれなくて済んだのに、という思いをこめた結びなのでしょう。なお、この前の連では「心と心がふれあって/何にもいわずにわかること/ただそれだけのよろこびが/人生至上の幸福さ」と歌っており、何の救いもない詩ではないことが分かります。
もう一つ、「さびしい」について言及している文章を掲載します。
「誰でもふっと『さびしい』と感じることがある。みんなで盛り上がっている最中とか、楽しさのあとに、さびしさは不意に襲いかかってくる。『さびしい』という感情は、私たちの生命の本質に根ざしているのではないだろうか。」(『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP研究所 編)
これらのことから、やなせたかしは「人間の存在は本来『さびしい』ものなのである」という人生観をもっているということが分かります。
やなせたかしは幼い頃に父親を亡くし、第二次世界大戦に従軍し、戦後も漫画家としては長く不遇をかこちました。そんなつらい体験がこのような人生観を生んだのでしょうが、一方、「さみしさに負けそうなとき、にぎりこぶしをつくりなさい。げんこつで涙ふきなさい」と、人間存在の「さびしさ」を克服してゆこうという思いも強く持っていました。
さて、このように「さびしい」に込められた意味を見てきましたが、「さびしいかしの木」に立ち戻ってその解釈を考えていきましょう。
まず注意したいのがタイトルです。あくまでも「さびしいかしの木」なのであって、「ひとりぼっちのかしの木」ではないということに注意したいと思います。
これを考えるのにドイツ語の「孤独」という語がわかりやすいかと思います。ドイツ語の「孤独」には二つの語があり、ひとつは "Verlassenheit" もう一つは"Einsamkeit"です。
"Verlassenheit"はverlassen という動詞の名詞形で「見捨てる」とか「立ち去る」という意味があります。ですから"Verlassenheit"は、「見捨てられた孤独」「忘れ去られて陥った孤独」といったような意味です。いわゆる「ぼっち」はこちらです。
一方"Einsamkeit"はeinsamという副詞からできた名詞で「ひとりでいること」という意味から、「自らひとりでいる孤独」という意味になります。
これをあてはめると、「ひとりぼっち」はVerlassenheit、「さびしい」はEinsamkeitが当たるでしょう。ですから、「さびしいかしの木」は、「誰かに見捨てられた」のではなく、「元々そこに存在している」かしの木、ということなのです。やなせたかしにとっては「存在すること=さびしい」ことなのですから。
さて、この詩において時間という観点から見てみると、第一、第二連がかしの木の若い頃、第三連が「とっても年を」とった現在の様子であることが分かります。
かしの木は若い頃はしっかりと根を張っている自分の足下を見ることなく、遠くの国に憧れたり、友達がほしいと思ったりします。そして、「雲」や「風」といった、気まぐれで儚いものにばかり望みを託します。若いかしの木にとっては、存在の「さびしさ」は耐え難いものだったか、あるいはそんなことには気づかなかったのでしょう。
そのようなことを繰り返すうちにしかし、かしの木は次第に自分が「さびしい」存在であることに気づいていきます。そしてその「さびしさ」にすっかり慣れたとき、若い頃には耐え難かった「さびしさ」を受け入れることができ、はじめて心穏やかに「ほほえみながら」立つことができるようになったのです。つまりこの詩は、かしの木が自分の存在の孤独を受け入れて、心の平穏を得ることができるまでの道程を歌った詩だと考えられます。この「ほほえみ」は、あきらめたり気が狂ったりした笑いではなく、存在の孤独を克服し、今ここにいる自分に満足している「ほほえみ」と言えるでしょう。だから木下牧子はこのように、安らかで、どこか諦念の漂うような曲に仕立てたのだと思います。
「人間なんてさみしいね」では「キチガイだったらよかったね」と、さみしさからの逃避を願った詩人でしたが、「さびしいかしの木」では、人間存在が根源的に抱えている「さびしさ」は、様々な経験や時間の推移とともに乗り越えることができる、という力強いメッセージを発しているのです。
……というのがお話しした概要ですが、高校生から質問が出ました。
「風とか雲は、生きているものだと思いますか?」
つまり、この詩に出てくる風とか雲は、人格化されているものなのか、という質問です。
わたしは
「生きていないと思いますよ。かしの木が勝手にそう思い込んでいるのだと思います。誰しも若い頃は、あまり当てにならないものや、後から見てみればどうしてあんなものに、と思うものを信じ込んで、自分の存在の孤独というものには目を向けなかったり、目を背けたりするものですからね。」
と答えました。生徒さんは
「私もそう思っていました」
と言って、にっこり笑いました。
最後にご注意願いたいのは、ここに書いたことはあくまでも私の解釈だということです。優れた詩は、多くの解釈を可能にします。詩は何かの情報を正確に伝えるものではなく、言葉の高度な機能を用いて読み手に或るイメージをわき上がらせるものです。相対性理論のように、同じ詩を読んでも観測者によって受け取る内容は異なるのです。「正しい」「間違っている」という次元の話ではないということです。
皆さんも皆さん自身の「さびしいかしの木」のイメージを作っていただければと思います。
「さびしいかしの木」 やなせたかし
山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木が
とおくの国へいきたいと
空ゆく雲にたのんだが
雲は流れて
きえてしまった
山の上のいっぽんの
さびしいさびしいカシの木が
私といっしょにくらしてと
やさしい風にたのんだが
風はどこかへ
きえてしまった
山の上のいっぽんの
さびしいさびしい
カシの木は
今ではとても年をとり
ほほえみながら立っている
さびしいことに
なれてしまった
高校生にこの詩を読んだ感想を聞いたところ「ひとりぼっちのかしの木が、友達を得ようと何度も挫折をして、最後にはあきらめる悲しい歌」という感想が多く出ました。
「じゃあ、そんな悲しい詩なら、何で最後にかしの木はほほえんでいるのかな?」
と聞くと、みんな考え込んで、
「あきらめの苦笑?」
とか
「さびしすぎて頭がおかしくなった」
などと、訳が分からない様子でした。
こういうときはこの詩の収録されている詩集の原典に当たって前後の詩との関係などを調べるといいのですが、この詩が収録されている『愛する歌』は絶版で、それでも第1集と第2集、第4集をネットの古本屋で手に入れたのですが、残念ながらこの詩は収録されていませんでした。
そこで、やなせたかしが「さびしい(さみしい)」という語をどのような意味で用いているのかを調べてみることにしました。
すると、「第2集」の冒頭に、イラスト入りでこんな詩が掲げられていました。
巻頭詩には、この詩集の大きな方向性を示す詩や、この詩集の中で詩人が最も気に入った詩を掲げるものですが、いずれにしてもこの詩がこの詩集で最も重要なものであることに間違いありません。
これは「人間なんてさみしいね」という詩の一節で、この詩は全部で四連からなる詩です。下にそのうちの第四連を引用します。(現在では不適当な表現も含まれますが、作者の意図を尊重し、そのまま掲載します)
どうせこの世はまともじゃない
オレもオマエもみなさんも
ほんとはキチガイかもしれない
信ずるものはあるもんか
大群衆のまっただなか
石やきいもをかじりつつ
孤独のおもい胸せまる
たったひとりで生まれてきて
たったひとりで死んでゆく
人間なんてさみしいね
人間なんておかしいね
キチガイだったらよかったね
「キチガイだったらよかったね」とはショッキングな結びです。
人間はその存在自体が孤独でさみしいもので、そんな人間のあり方に滑稽ささえ感じられる、と詩人は歌っています。もしも「キチガイ」だったなら、この底なしの孤独にさいなまれなくて済んだのに、という思いをこめた結びなのでしょう。なお、この前の連では「心と心がふれあって/何にもいわずにわかること/ただそれだけのよろこびが/人生至上の幸福さ」と歌っており、何の救いもない詩ではないことが分かります。
もう一つ、「さびしい」について言及している文章を掲載します。
「誰でもふっと『さびしい』と感じることがある。みんなで盛り上がっている最中とか、楽しさのあとに、さびしさは不意に襲いかかってくる。『さびしい』という感情は、私たちの生命の本質に根ざしているのではないだろうか。」(『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP研究所 編)
これらのことから、やなせたかしは「人間の存在は本来『さびしい』ものなのである」という人生観をもっているということが分かります。
やなせたかしは幼い頃に父親を亡くし、第二次世界大戦に従軍し、戦後も漫画家としては長く不遇をかこちました。そんなつらい体験がこのような人生観を生んだのでしょうが、一方、「さみしさに負けそうなとき、にぎりこぶしをつくりなさい。げんこつで涙ふきなさい」と、人間存在の「さびしさ」を克服してゆこうという思いも強く持っていました。
さて、このように「さびしい」に込められた意味を見てきましたが、「さびしいかしの木」に立ち戻ってその解釈を考えていきましょう。
まず注意したいのがタイトルです。あくまでも「さびしいかしの木」なのであって、「ひとりぼっちのかしの木」ではないということに注意したいと思います。
これを考えるのにドイツ語の「孤独」という語がわかりやすいかと思います。ドイツ語の「孤独」には二つの語があり、ひとつは "Verlassenheit" もう一つは"Einsamkeit"です。
"Verlassenheit"はverlassen という動詞の名詞形で「見捨てる」とか「立ち去る」という意味があります。ですから"Verlassenheit"は、「見捨てられた孤独」「忘れ去られて陥った孤独」といったような意味です。いわゆる「ぼっち」はこちらです。
一方"Einsamkeit"はeinsamという副詞からできた名詞で「ひとりでいること」という意味から、「自らひとりでいる孤独」という意味になります。
これをあてはめると、「ひとりぼっち」はVerlassenheit、「さびしい」はEinsamkeitが当たるでしょう。ですから、「さびしいかしの木」は、「誰かに見捨てられた」のではなく、「元々そこに存在している」かしの木、ということなのです。やなせたかしにとっては「存在すること=さびしい」ことなのですから。
さて、この詩において時間という観点から見てみると、第一、第二連がかしの木の若い頃、第三連が「とっても年を」とった現在の様子であることが分かります。
かしの木は若い頃はしっかりと根を張っている自分の足下を見ることなく、遠くの国に憧れたり、友達がほしいと思ったりします。そして、「雲」や「風」といった、気まぐれで儚いものにばかり望みを託します。若いかしの木にとっては、存在の「さびしさ」は耐え難いものだったか、あるいはそんなことには気づかなかったのでしょう。
そのようなことを繰り返すうちにしかし、かしの木は次第に自分が「さびしい」存在であることに気づいていきます。そしてその「さびしさ」にすっかり慣れたとき、若い頃には耐え難かった「さびしさ」を受け入れることができ、はじめて心穏やかに「ほほえみながら」立つことができるようになったのです。つまりこの詩は、かしの木が自分の存在の孤独を受け入れて、心の平穏を得ることができるまでの道程を歌った詩だと考えられます。この「ほほえみ」は、あきらめたり気が狂ったりした笑いではなく、存在の孤独を克服し、今ここにいる自分に満足している「ほほえみ」と言えるでしょう。だから木下牧子はこのように、安らかで、どこか諦念の漂うような曲に仕立てたのだと思います。
「人間なんてさみしいね」では「キチガイだったらよかったね」と、さみしさからの逃避を願った詩人でしたが、「さびしいかしの木」では、人間存在が根源的に抱えている「さびしさ」は、様々な経験や時間の推移とともに乗り越えることができる、という力強いメッセージを発しているのです。
……というのがお話しした概要ですが、高校生から質問が出ました。
「風とか雲は、生きているものだと思いますか?」
つまり、この詩に出てくる風とか雲は、人格化されているものなのか、という質問です。
わたしは
「生きていないと思いますよ。かしの木が勝手にそう思い込んでいるのだと思います。誰しも若い頃は、あまり当てにならないものや、後から見てみればどうしてあんなものに、と思うものを信じ込んで、自分の存在の孤独というものには目を向けなかったり、目を背けたりするものですからね。」
と答えました。生徒さんは
「私もそう思っていました」
と言って、にっこり笑いました。
最後にご注意願いたいのは、ここに書いたことはあくまでも私の解釈だということです。優れた詩は、多くの解釈を可能にします。詩は何かの情報を正確に伝えるものではなく、言葉の高度な機能を用いて読み手に或るイメージをわき上がらせるものです。相対性理論のように、同じ詩を読んでも観測者によって受け取る内容は異なるのです。「正しい」「間違っている」という次元の話ではないということです。
皆さんも皆さん自身の「さびしいかしの木」のイメージを作っていただければと思います。
小津安二郎「秋刀魚の味」と化学調味料
今回は食べ物のお話を。
小津作品を網羅的に観たわけではありませんが、私のお気に入りは小津監督の遺作「秋刀魚の味」です。デジタルリマスター版が出て、飛躍的に画がよくなりました。
海軍から復員した元駆逐艦の艦長・平山修平(笠智衆)と、旧制中学の友人・川井修三(南伸一郎)が計画して、今はラーメン屋をやっている「ひょうたん」とあだ名される漢文の教師・佐久間清太郎(東野英次郎)を同窓会に誘います。教え子が皆大企業の管理職になっているのに気後れしたひょうたんは、卑屈な態度で杯を受け、ハモを食べます。
「この魚は何でしょうか」と尋ねるひょうたん。「ハモですよ」と教えてあげるものの「ひょうたんはハモも食ったことないらしいぜ」と陰口をたたく教え子。ハモを一心不乱に食べ尽くした後、教え子が勧める酒を遠慮もなく飲み干すひょうたん。
そしてひょうたんはべろべろに酔っ払って教え子の車に送られ、店である燕来軒に帰ってくるのですが、行き遅れたオールドミスの娘・杉浦春子にこっぴどく叱られます。
その後ひょうたんは再び教え子と飲むのですがその時に、ひょうたんが言うのです。
「わしゃ、さびしいんじゃ」
この台詞が胸を突きます。この作品の中心となる台詞でしょう。
戦前は旧制中学で生徒に威張り散らしていたひょうたんが、敗戦という価値観の転倒という流れの中で職を失い(あるいは職を辞し)、なれないラーメン屋を始めます。しかもこのラーメンは、常連の坂本(加東大介)に「ここはあんまり、美味くないんですよ」と言われます。何も言い返せず、ひょうたんはがっくりと肩を落とします。
このシーンは大変に心が痛みます。
ところで小津監督は「赤」が好きだったというのは有名な話ですが、調べてみたところ、この映画で「赤」が登場しないのは、ほんの3シーン程度(家族のいなくなった家の廊下のシーンなど)で、会社や団地の消火器やサッポロビールなど、どこかに必ず「赤」が登場します。
ひょうたんの経営する「燕来軒」のシーンにも「赤」が登場します。それは「味の素」の缶の色です。
中が入っているものもあれば、箸立に転用されているものもあります。とにかく「味の素」がたくさん登場するのです。空き缶が多いと言うことは、それだけ燕来軒では「味の素」を使っているということでしょう。これは何を意味しているのでしょうか。
想像できることは、「漢文の教師」という、全くつぶしのきかない、しかもエリートだったひょうたんが、何の知識もなくラーメン屋を始め、だしの取り方さえ分からなかったということです。いきおい化学調味料に頼ることになり、使いすぎて舌にまとわりつくような特有の味となって、加東大介に「まずい」と言われたのでしょう。
化学調味料と秋刀魚の「味」。今まで日本人が食べてきたものの味と、それらの味を全て束ねてひと振りにしてしまう味。そこにはある種の「断絶」が見て取れます。
ひょうたんが「便利に使っていた」がために婚期を逃させてしまった娘(杉村春子)が号泣するシーンにも胸を打たれます。もう取り返しのつかないことになってしまった人生をひしひしと身に感じていたのでしょう。しかも老いた父と二人、これからのことも重くのしかかってきています。
それにしても、東野英次郎と杉村春子の演技のうまさが光っています。私は水戸黄門の東野より、この役の方が好きです。
一方、岩下志麻の父親役の笠智衆は、台詞は棒読みだし、演技は下手だし、「違和感がある」と言っていい有様です。
ところが、娘が嫁に行き、誰もいなくなった家に酔っ払って帰ってきたとたん、急に「演技」を始めるのです。この演技が、孤独になってしまった父親の悲しみを表現していて、胸を締め付けられます。
横道にそれてしまいました。
私は映画評論家でもマニアでもないので、化学調味料の件はどなたかが指摘しているかもしれませんが、この作品のテーマは「孤独と断絶」なのではないかと思います。登場人物がみんな「孤独」なのです。戦前と戦後の断絶、同級生と笠智衆扮する父親との断絶、父と息子の断絶、父とバーのマダム(岸田今日子)との断絶、父を思う娘との「結婚」による断絶。
「これからの社会は孤独と断絶の世界になる」と予言したのは夏目漱石でしたが、「秋刀魚の味」は、その流れにあるのではないでしょうか。日々口にする秋刀魚の苦さ(昔の人ははらわたも食べていました)。その苦さ(孤独の味わい)が日常的なものになった現代を、ホームドラマの形を用いて描いているような気がします。
実際、今の社会は断絶のクラックが至る所に走っていて、私たちは孤独にさいなまれているではありませんか。
小津作品を網羅的に観たわけではありませんが、私のお気に入りは小津監督の遺作「秋刀魚の味」です。デジタルリマスター版が出て、飛躍的に画がよくなりました。
海軍から復員した元駆逐艦の艦長・平山修平(笠智衆)と、旧制中学の友人・川井修三(南伸一郎)が計画して、今はラーメン屋をやっている「ひょうたん」とあだ名される漢文の教師・佐久間清太郎(東野英次郎)を同窓会に誘います。教え子が皆大企業の管理職になっているのに気後れしたひょうたんは、卑屈な態度で杯を受け、ハモを食べます。
「この魚は何でしょうか」と尋ねるひょうたん。「ハモですよ」と教えてあげるものの「ひょうたんはハモも食ったことないらしいぜ」と陰口をたたく教え子。ハモを一心不乱に食べ尽くした後、教え子が勧める酒を遠慮もなく飲み干すひょうたん。
そしてひょうたんはべろべろに酔っ払って教え子の車に送られ、店である燕来軒に帰ってくるのですが、行き遅れたオールドミスの娘・杉浦春子にこっぴどく叱られます。
その後ひょうたんは再び教え子と飲むのですがその時に、ひょうたんが言うのです。
「わしゃ、さびしいんじゃ」
この台詞が胸を突きます。この作品の中心となる台詞でしょう。
戦前は旧制中学で生徒に威張り散らしていたひょうたんが、敗戦という価値観の転倒という流れの中で職を失い(あるいは職を辞し)、なれないラーメン屋を始めます。しかもこのラーメンは、常連の坂本(加東大介)に「ここはあんまり、美味くないんですよ」と言われます。何も言い返せず、ひょうたんはがっくりと肩を落とします。
このシーンは大変に心が痛みます。
ところで小津監督は「赤」が好きだったというのは有名な話ですが、調べてみたところ、この映画で「赤」が登場しないのは、ほんの3シーン程度(家族のいなくなった家の廊下のシーンなど)で、会社や団地の消火器やサッポロビールなど、どこかに必ず「赤」が登場します。
ひょうたんの経営する「燕来軒」のシーンにも「赤」が登場します。それは「味の素」の缶の色です。
中が入っているものもあれば、箸立に転用されているものもあります。とにかく「味の素」がたくさん登場するのです。空き缶が多いと言うことは、それだけ燕来軒では「味の素」を使っているということでしょう。これは何を意味しているのでしょうか。
想像できることは、「漢文の教師」という、全くつぶしのきかない、しかもエリートだったひょうたんが、何の知識もなくラーメン屋を始め、だしの取り方さえ分からなかったということです。いきおい化学調味料に頼ることになり、使いすぎて舌にまとわりつくような特有の味となって、加東大介に「まずい」と言われたのでしょう。
化学調味料と秋刀魚の「味」。今まで日本人が食べてきたものの味と、それらの味を全て束ねてひと振りにしてしまう味。そこにはある種の「断絶」が見て取れます。
ひょうたんが「便利に使っていた」がために婚期を逃させてしまった娘(杉村春子)が号泣するシーンにも胸を打たれます。もう取り返しのつかないことになってしまった人生をひしひしと身に感じていたのでしょう。しかも老いた父と二人、これからのことも重くのしかかってきています。
それにしても、東野英次郎と杉村春子の演技のうまさが光っています。私は水戸黄門の東野より、この役の方が好きです。
一方、岩下志麻の父親役の笠智衆は、台詞は棒読みだし、演技は下手だし、「違和感がある」と言っていい有様です。
ところが、娘が嫁に行き、誰もいなくなった家に酔っ払って帰ってきたとたん、急に「演技」を始めるのです。この演技が、孤独になってしまった父親の悲しみを表現していて、胸を締め付けられます。
横道にそれてしまいました。
私は映画評論家でもマニアでもないので、化学調味料の件はどなたかが指摘しているかもしれませんが、この作品のテーマは「孤独と断絶」なのではないかと思います。登場人物がみんな「孤独」なのです。戦前と戦後の断絶、同級生と笠智衆扮する父親との断絶、父と息子の断絶、父とバーのマダム(岸田今日子)との断絶、父を思う娘との「結婚」による断絶。
「これからの社会は孤独と断絶の世界になる」と予言したのは夏目漱石でしたが、「秋刀魚の味」は、その流れにあるのではないでしょうか。日々口にする秋刀魚の苦さ(昔の人ははらわたも食べていました)。その苦さ(孤独の味わい)が日常的なものになった現代を、ホームドラマの形を用いて描いているような気がします。
実際、今の社会は断絶のクラックが至る所に走っていて、私たちは孤独にさいなまれているではありませんか。
2017年7月30日日曜日
お久しぶりです
みなさま、大変お久しぶりでございます。
最後の投稿からはや4年。
特に頼まれたわけではありませんが、給食当番が「玄林山房主人」として帰って参りました。
何とは無しにブログの統計情報を見てみると、なんと1000ビューに迫っているものもあり、びっくりしました。放置していて申し訳ありません。毎日毎晩根を詰めてブログを書いていたのがたたって、いわば「PC乱視」になってしいました。これがそのうち「老眼」と結びつき、読書にも不便する始末。しばらくはブログをお休みしておりました。
PCや読書用の度の弱いめがねも購入したので、これからまたゆるゆると書いていきたいと思います。
最後の投稿からはや4年。
特に頼まれたわけではありませんが、給食当番が「玄林山房主人」として帰って参りました。
何とは無しにブログの統計情報を見てみると、なんと1000ビューに迫っているものもあり、びっくりしました。放置していて申し訳ありません。毎日毎晩根を詰めてブログを書いていたのがたたって、いわば「PC乱視」になってしいました。これがそのうち「老眼」と結びつき、読書にも不便する始末。しばらくはブログをお休みしておりました。
PCや読書用の度の弱いめがねも購入したので、これからまたゆるゆると書いていきたいと思います。
2013年5月3日金曜日
浜松市楽器博物館その2
今回はホルンその1。ホルンにヴァルヴが付くまで。
先日横浜中華街に行きました。中華街の外れに、インドやネパールの雑貨や服を扱っている店があり、たまにあっちの金管楽器がぶら下がっていたりするので必ず立ち寄るのですが、今回は本当の「ホルン」がありました。おそらく羊の角にマウスピース様の木の部品をつけたもの。「うわああ」と手にとって試奏させていただきました。その角は2本接続されていて結構な長さがあったせいか、深みのあるいい音がするんですよ。びっくりしました。値段を見てさらにびっくり。2万6千円。ちょっとなあ、と後ろ髪を引かれるような思いで店を後にしました。
"horn"とは、「つの」のこと。まさしく中華街で売っていたあれがホルンの真の姿なのでしょう。
本州の北端は下北半島、マグロで有名な青森県大間の土産物屋でホラ貝を見つけました。さんざんホラ貝っぽく吹いて「いやあ、いい音するなあ」と言って置いたら、次に吹いたお客さんはラッパの心得のなかった方らしく、いくら吹いても全然鳴りませんでした。「あのやろう、嘘ばっか言いやがって」と思ったに違いありません。ほら吹きというのが、ラッパ吹きの真の姿なのでしょう。
本当のホラ貝のアンブシャー(としか言いようがない)って、けっこう右に寄っているんですね。なんと、ホラ貝の吹き方の動画もありました。途中淡々と入るナレーションが、中学生の頃聴いていたトランペット教則レコードの中山富士雄先生の語りを彷彿とさせます。
さらに、ホラ貝奏者がトランペットを吹くのも発見。高音域になると超かっこいい!今にも戦が始まりそうです。このように吹いてみたいのは山々ですが、アンブシャーを壊すとまずいのでこれで満足します。でも、トランペットはもうちょっと優しく置いてあげてくださいね。
さて、楽器博物館で最初に展示してあったホルンは、これ。
「ビューグルホルン」という楽器。ロンドン製だそうです。こういうのを見ると吹きたくなるんですよね。ラッパ吹きの悲しいさがです。しかも説明板をよく見ると、
日本語の説明はDes管なのに、英語の説明だとD管になってる。こういうことになるとなおさら吹いて確かめたくなるじゃありませんか。罪なお・か・た。
ひもが付いているということは、肩にかけて持ち運んだのでしょう。途中の「こぶ」は、吹き込み管とベルの接合部を補強するためのもののようです。ナチュラルトランペットにも同じような「こぶ」がついています。
はい、次。
これはまたきれいだ。
今でこそ「でんでん虫」と呼ばれ、中はぐるぐる巻きになっているホルンですが、元はこんなにシンプルな楽器だったんですね。これを「ナチュラルホルン」と言います。1800年代の初めまでは、「ホルン」と言えばこれを指しました。有名なモーツァルトのホルン協奏曲もこれで吹かれたわけです。が、このままだと出ない音がたくさんあるので、右手をベルの中に突っ込んで、手で音の出口を開いたり閉じたり半開きにしたりして、音階を出したのです
……ということを高3の時に知った当番(おそらく前回の「ルール」と同じ本で得た知識)は、早速部室に行って使っていないホルンを借用し、ついにロータリーを使わずにF-durを吹くことに成功したのでした。有頂天になる3年生(トランペット)、迷惑がる2年生(ホルン)。早く引退しろよ、と思われたことでしょう。
で、ヘルマン・バウマンがナチュラルホルンでモーツァルトのホルン協奏曲を録音したというので早速買って聴きました。感動しましたねえ。昔のモーツァルトはこう演奏されていたのか、と目から鱗が落ちました。でも、そんなことに感動してないで、受験勉強しろっていう話ですよね。
そろそろ目がかすんで参りましたので、今回はこの辺で。あれ?鱗が落ちたんじゃなかったのか?
先日横浜中華街に行きました。中華街の外れに、インドやネパールの雑貨や服を扱っている店があり、たまにあっちの金管楽器がぶら下がっていたりするので必ず立ち寄るのですが、今回は本当の「ホルン」がありました。おそらく羊の角にマウスピース様の木の部品をつけたもの。「うわああ」と手にとって試奏させていただきました。その角は2本接続されていて結構な長さがあったせいか、深みのあるいい音がするんですよ。びっくりしました。値段を見てさらにびっくり。2万6千円。ちょっとなあ、と後ろ髪を引かれるような思いで店を後にしました。
"horn"とは、「つの」のこと。まさしく中華街で売っていたあれがホルンの真の姿なのでしょう。
本州の北端は下北半島、マグロで有名な青森県大間の土産物屋でホラ貝を見つけました。さんざんホラ貝っぽく吹いて「いやあ、いい音するなあ」と言って置いたら、次に吹いたお客さんはラッパの心得のなかった方らしく、いくら吹いても全然鳴りませんでした。「あのやろう、嘘ばっか言いやがって」と思ったに違いありません。ほら吹きというのが、ラッパ吹きの真の姿なのでしょう。
本当のホラ貝のアンブシャー(としか言いようがない)って、けっこう右に寄っているんですね。なんと、ホラ貝の吹き方の動画もありました。途中淡々と入るナレーションが、中学生の頃聴いていたトランペット教則レコードの中山富士雄先生の語りを彷彿とさせます。
さらに、ホラ貝奏者がトランペットを吹くのも発見。高音域になると超かっこいい!今にも戦が始まりそうです。このように吹いてみたいのは山々ですが、アンブシャーを壊すとまずいのでこれで満足します。でも、トランペットはもうちょっと優しく置いてあげてくださいね。
さて、楽器博物館で最初に展示してあったホルンは、これ。
「ビューグルホルン」という楽器。ロンドン製だそうです。こういうのを見ると吹きたくなるんですよね。ラッパ吹きの悲しいさがです。しかも説明板をよく見ると、
日本語の説明はDes管なのに、英語の説明だとD管になってる。こういうことになるとなおさら吹いて確かめたくなるじゃありませんか。罪なお・か・た。
ひもが付いているということは、肩にかけて持ち運んだのでしょう。途中の「こぶ」は、吹き込み管とベルの接合部を補強するためのもののようです。ナチュラルトランペットにも同じような「こぶ」がついています。
はい、次。
左上のかわいい水色のが「ポストホルン」、右の大きな緑のが「狩猟ホルン」です。「ポストホルン」は、「郵便が来たぞー」と郵便馬車の御者が吹き鳴らしたホルン。「狩猟ホルン」は「鹿が獲れたぞー」と、狩りの仲間に知らせるホルンです。この動画では、右手をベルに入れていないのが分かります。音色や音程より、音の遠達性を重視していたからでしょう。大きく巻いてあるのは、馬に乗るときに使いやすいよう、肩から斜めに掛けるためです。
ところで当番はiPhoneを使っているのですが、iOS6になったら急に絵文字にポストホルン(しかもクランツ付き!)が出現してびっくりしました。メールとか郵便の絵文字の中にいきなりホルンが出てくるので、これが「ポストホルン」だと分かる日本人がどのくらいいるのか、と考えてしまいました。逆に、欧米では「郵便=ポストホルン」というイメージなのでしょう。文化のギャップを身近に感じます。
これはまたきれいだ。
今でこそ「でんでん虫」と呼ばれ、中はぐるぐる巻きになっているホルンですが、元はこんなにシンプルな楽器だったんですね。これを「ナチュラルホルン」と言います。1800年代の初めまでは、「ホルン」と言えばこれを指しました。有名なモーツァルトのホルン協奏曲もこれで吹かれたわけです。が、このままだと出ない音がたくさんあるので、右手をベルの中に突っ込んで、手で音の出口を開いたり閉じたり半開きにしたりして、音階を出したのです
……ということを高3の時に知った当番(おそらく前回の「ルール」と同じ本で得た知識)は、早速部室に行って使っていないホルンを借用し、ついにロータリーを使わずにF-durを吹くことに成功したのでした。有頂天になる3年生(トランペット)、迷惑がる2年生(ホルン)。早く引退しろよ、と思われたことでしょう。
で、ヘルマン・バウマンがナチュラルホルンでモーツァルトのホルン協奏曲を録音したというので早速買って聴きました。感動しましたねえ。昔のモーツァルトはこう演奏されていたのか、と目から鱗が落ちました。でも、そんなことに感動してないで、受験勉強しろっていう話ですよね。
そろそろ目がかすんで参りましたので、今回はこの辺で。あれ?鱗が落ちたんじゃなかったのか?
2013年4月19日金曜日
浜松市楽器博物館その1
前回、「ディロ!」「ディロ!」と車中で叫びながら芸を磨きながら浜松まで走ったと書きましたが、着いた先は、浜松市楽器博物館でありました。
閉館時間は17時。ところが着いたのは16時。
学芸員の方に展示品の撮影とブログへの掲載をご快諾いただき、急いで回りました。
もちろん、目指すのは階下の管楽器コーナー。
広い地階の一壁面が管楽器コーナーになっています。
この写真だと右手の壁の奥から、金管→木管の順に展示されています。
最初はこれでしょ。
金管楽器のご先祖様、「ルール(Lur)」。
高校生の頃、バンドジャーナルの「金管楽器の歴史」の特集だか別冊だかにありました。その記憶だと、
・青銅器時代の楽器(紀元前1000年頃)
・北欧の泥炭地から発掘される。
・二本一対で発掘されることが多い。
・儀礼や祭祀で用いられたと思われるが、実際に吹奏されたかどうか分からない。
というようなことで、まあ、昔のことですからね、よく分からないことが多いのは仕方ないのですが、それにしてもよくできてるし、よく残ってるなあと感心します。マウスピースも付いているし、吹けば音が出るような感じ。3000年も前のものとは思えません。
ところが、解説板をよく見てみると……
19世紀から20世紀!?
レプリカ(複製品)だったんですね。3000年も前のものではなかった。
まあ、そりゃそうでしょう。本物は泥炭地から発掘されているんですよ。いくら酸素が遮断されていたとは言え、よく見りゃマウスピースの根元に飾りがぶら下がっているじゃありませんか。そこまで保存状態がいいワケありませんよね。
それにしても不思議なかたちです。ベルのように見える部分はベルではなく、管の出口に円盤で装飾を施しているだけなのです。なんか蓮に見えますが、蓮はインド原産の植物なので紀元前に北欧の人々が知っているはずもなく、何なんでしょう、このかたち。謎の多い楽器です。
音は聞いたことありませんが、形状と素材から想像するに、相当荒々しい音がすると思います。
……と思いきや、実物はこんな音でした。結構普通ですね。これは、現代のトランペット奏者かホルン奏者が演奏しているのでこんな現代風な音がするのでは?と思ってしまうほど普通です。もっと荒々しいものを期待していた者としては、ちょっと驚き。そう、「天空の城ラピュタ」でパズーの代吹きが「必殺仕事人」の数原晋だったことを知ったときくらいの驚きがあります。
信号音だけかと思いきや、交響曲第4番「不滅」で有名なデンマークの作曲家・ニールセンが"Lur Signals"というルール二重奏を書いていました。これは珍品中の珍品。ところが、三省堂の「音楽作品名辞典」にも、ウィキペディアにも、そしてお膝元のデンマーク・カール・ニールセン協会の作品リストにも載っていないのです。うーん、なぜだろう。
聴いてみると、「あれ?ホルンじゃないの?」と思いますが、アップした方が"The LUR is not a French Horn."とわざわざ書いているので、これは本物のルールを使っているようです。最初の音源と調が違うようですので、F管とかEs管とかあるのでしょうか?
しかし、これで上の展示品がレプリカである理由が分かるような気がします。実はルールは北欧では案外普通の楽器で、その音楽は日本における雅楽のような位置にあり、ルールの愛好者がいたりして、(超)古典音楽として演奏され続けているのではないでしょうか。だから、ニールセンが二重奏を書くことができたのだし、19~20世紀に楽器を作る理由があったのでしょう。
さて、最初は長文で攻めに攻めたこのブログ。快調に飛ばしていたツケが回り、最近乱視がひどくなって参りました。なので今回はここまで。「浜松市楽器博物館」はこの先まだまだ続きます。
閉館時間は17時。ところが着いたのは16時。
学芸員の方に展示品の撮影とブログへの掲載をご快諾いただき、急いで回りました。
もちろん、目指すのは階下の管楽器コーナー。
広い地階の一壁面が管楽器コーナーになっています。
この写真だと右手の壁の奥から、金管→木管の順に展示されています。
最初はこれでしょ。
金管楽器のご先祖様、「ルール(Lur)」。
高校生の頃、バンドジャーナルの「金管楽器の歴史」の特集だか別冊だかにありました。その記憶だと、
・青銅器時代の楽器(紀元前1000年頃)
・北欧の泥炭地から発掘される。
・二本一対で発掘されることが多い。
・儀礼や祭祀で用いられたと思われるが、実際に吹奏されたかどうか分からない。
というようなことで、まあ、昔のことですからね、よく分からないことが多いのは仕方ないのですが、それにしてもよくできてるし、よく残ってるなあと感心します。マウスピースも付いているし、吹けば音が出るような感じ。3000年も前のものとは思えません。
ところが、解説板をよく見てみると……
19世紀から20世紀!?
レプリカ(複製品)だったんですね。3000年も前のものではなかった。
まあ、そりゃそうでしょう。本物は泥炭地から発掘されているんですよ。いくら酸素が遮断されていたとは言え、よく見りゃマウスピースの根元に飾りがぶら下がっているじゃありませんか。そこまで保存状態がいいワケありませんよね。
それにしても不思議なかたちです。ベルのように見える部分はベルではなく、管の出口に円盤で装飾を施しているだけなのです。なんか蓮に見えますが、蓮はインド原産の植物なので紀元前に北欧の人々が知っているはずもなく、何なんでしょう、このかたち。謎の多い楽器です。
音は聞いたことありませんが、形状と素材から想像するに、相当荒々しい音がすると思います。
……と思いきや、実物はこんな音でした。結構普通ですね。これは、現代のトランペット奏者かホルン奏者が演奏しているのでこんな現代風な音がするのでは?と思ってしまうほど普通です。もっと荒々しいものを期待していた者としては、ちょっと驚き。そう、「天空の城ラピュタ」でパズーの代吹きが「必殺仕事人」の数原晋だったことを知ったときくらいの驚きがあります。
信号音だけかと思いきや、交響曲第4番「不滅」で有名なデンマークの作曲家・ニールセンが"Lur Signals"というルール二重奏を書いていました。これは珍品中の珍品。ところが、三省堂の「音楽作品名辞典」にも、ウィキペディアにも、そしてお膝元のデンマーク・カール・ニールセン協会の作品リストにも載っていないのです。うーん、なぜだろう。
聴いてみると、「あれ?ホルンじゃないの?」と思いますが、アップした方が"The LUR is not a French Horn."とわざわざ書いているので、これは本物のルールを使っているようです。最初の音源と調が違うようですので、F管とかEs管とかあるのでしょうか?
しかし、これで上の展示品がレプリカである理由が分かるような気がします。実はルールは北欧では案外普通の楽器で、その音楽は日本における雅楽のような位置にあり、ルールの愛好者がいたりして、(超)古典音楽として演奏され続けているのではないでしょうか。だから、ニールセンが二重奏を書くことができたのだし、19~20世紀に楽器を作る理由があったのでしょう。
さて、最初は長文で攻めに攻めたこのブログ。快調に飛ばしていたツケが回り、最近乱視がひどくなって参りました。なので今回はここまで。「浜松市楽器博物館」はこの先まだまだ続きます。
2013年4月7日日曜日
うー、まんぼ。
ラテンを演奏していると、時々「Mambo!」とか「Whoo!」とか譜面に書いてあって、どうしていいんだか。
ニューサウンズの「ウエスト・サイド・ストーリー・メドレー」でこのテのかけ声に初めて出会ったという方は多いのでは?
高校生は多感なお年頃。いかに譜面の指示であってもバカでかい声を出すのは死ぬほど恥ずかしいものです。結果、中途半端なかけ声になってしまい、「まんぼ。」などと残念な感じに終わってしまいます。「う。」に至っては「具合悪いの?」と指揮者に心配される始末。
当番が入った高校の吹奏楽部はちょっと毛色が変わっていて、演奏するポップスのかなりの部分をダンスミュージックが占めていました。タンゴ、ルンバ、パソドブレ、ビギン、サンバ、チャチャそしてマンボ。昭和末期とはいえ当時の高校としてはかなり珍しいのではないでしょうか?
当時の高校吹奏楽界はアルフレッド・リードが全盛で、大編成の学校は、こぞって演っていたものでした。
ウチもやりましたよ、アルフレッド。「ハウゼ」の方ですけどね。ある日、まじめな顔でホルンの女の子に「猟犬やりたいなあ」と言ったら、「あんたねえ、やりたい曲とできる曲は違うのよ!」と一喝され、この言葉はいまだに当番の中で名言として生きています。いや、向上心がないといえばそれまでですが、やはりそのバンドの身の丈にあった選曲は大事だと思います。
脱線しました。が、元々このブログには本線がないことをご了承ください。
で、死ぬほど恥ずかしいラテンのかけ声を1ステージで何度もやらされるのですが、あれはどうやってかければいいんでしょうか。
あのかけ声は「マンボ王」ペレス・プラード(1916ー89 キューバ→メキシコ)が広めたもので、レコーディング中、あまりのノリの良さに思わず叫んだと本人が言っています。ペレス・プラードといって分からない方は、「マンボNo.5」をご覧になれば、お分かりになるでしょう。ここで真ん中でかけ声をかけながら踊っているおじさんがペレス・プラード大先生です。絶好調ですね。そう言や歌わされたわ「シ、シ、シ、ヨケーロマンボ、マンボ」ってね。芸のためとは言え、なかなかつらかったなあ。
で、これがほんとに「ウーッ!」といっているのかというと意外や意外「ディロ!」と言っていたのよ、奥さん、知ってた?
スペイン語で"dilo"は英語で"Say it!"「それいけ!」と、バンドをあおるための合いの手の意味があって、そう知って聴けばそう聞こえます。では、ペレス・プラードの特徴が最もよく出ている動画を見てみましょう。" El Ruletero"(タクシー運転手のマンボ)です。どうですか。素晴らしいじゃありませんか!歌って踊るバンドマスター。左隅でマラカスを振っている人がいいですね。
もっと過激なやつを。"Mambo No.8"。踊りはほとんどラジオ体操。Mambo No.1~4,6,7はどうしたんだ、という疑問はごもっともですが、そこはラテンのノリ。最初(ハナ)からそんなものはない。
最もよく"dilo!"と聞こえているのがこの部分。"Si Si…"のあと、たしかに"dilo!"と言ってい(るように聞こえ)ますよね、ね。
で、当番も練習してみました、高速を走る車中で。最初はどう発音していいか分からず試行錯誤しましたが、岐阜から浜松までの間に完成しました。
"dilo!"と発音しようと最大限の努力をしつつ、「ディオ!」に近い発声にするといいようです。ちょうど「ディ」が金管楽器のタンギングの役割をし、破壊力が増します。音そのものは、喉を大きく開き、後頭部で共鳴させるように、音程は「ディ」の「ィ」を最も高く発声します。
浜松から厚木まで、「ディロ!」「ディロ!」で眠気知らず。同乗者がないのも幸いでした。
悩める若人よ、これからは「ア〜、ディロ!」(と言っても、恥ずかしさが消えるワケではありません。)
登録:
投稿 (Atom)
歌詞と歌
以前、機会に恵まれて、某音楽大学の合唱に関する公開講座に参加したことがありました。 講師は、最近あるコンクールで優勝したという若いソプラノの講師の方と、その大学の教授のバリトンの先生。とても含蓄のあるすばらしいお話でした。 最後に質疑応答の時間が設けられたので、質問してみ...
-
大学での専門が詩(英詩)だったせいで、ある高校の合唱部で「さびしいかしの木」(やなせたかし作詞・木下牧子作曲)の歌詞の解釈をする機会がありました。また使えるかもしれないので、備忘録代わりに書き付けておきます。 「さびしいかしの木」 やなせたかし 山の上のいっぽんの さび...
-
今回は食べ物のお話を。 小津作品を網羅的に観たわけではありませんが、私のお気に入りは小津監督の遺作「 秋刀魚の味 」です。デジタルリマスター版が出て、飛躍的に画がよくなりました。 海軍から復員した元駆逐艦の艦長・平山修平(笠智衆)と、旧制中学の友人・川井修三(南伸一郎)が...
-
ブラームスの「大学祝典序曲」は、4曲のドイツ学生歌を含んでいますが、今回はその原曲たち(のうちまず2曲)を聴いてみましょう。 まずは、金管のコラールが美しい「 僕らは立派な校舎を建てた 」(Wir hatten gebauet ein stattliches Haus)。 国...